夫婦

専業主婦がモラハラを受け続けるとどうなる→家族のストーカーに!?

父からモラハラを受け続けてきた母を、

子どもとして見てきた私の体験談になります。

 

「いやなら出ていけ」
「お母さんの作るご飯は美味しくない」
「そんな事言うなら給料いれない」

 

こんな言葉が日常的に父は口から発していました。

 

モラハラを受け続けてきた母は、

結局、熟年離婚をし、

1年後若くして亡くなりました。

 

モラハラを受け続けるとどうなるのか?

家族目線で実体験を書いていきます。

 

あなたがモラハラで困っているなら、

少しでもお役に立てますように。

 

専業主婦の母が受けるモラハラを見ていた

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当時の女性はほとんどの母親が専業主婦です。

母もそうでした。

 

今は亡き母なのですが、

当時「モラハラ」なんて言葉がない時代、

今思うと母は父に「モラハラ」を

受けていたんだと思います。

 

なので経済的な理由から

離婚はしませんでした。

 

私や弟が結婚して

ようやく離婚したのですが、

その後に癌が分かり、

わずか1年足らずで亡くなりました。

 

私は

 

母の人生、これで良かったのかな?
父と結婚していなければ
もっと違う人生があったかもしれない。

 

と思います。

 

父と母を見てきたので私自身、

結婚願望もなければ

子供が欲しいとも思っていませんでした。

 

ですが、母が私に、結婚する事と、

子供を生む事を強く言ってくれました。

 

「子供は一生あんたの味方になってくれるから」

 

この言葉がようやく

分かるようになったのは

最近かもしれません。

 

現在、6歳の長女は

旦那と喧嘩した時、

必ず私の味方になってくれます。

 

「お母さんは

毎日家の事したりして

大変なんだよ!!」

 

と。

 

私もそんな風に

母の味方になっていたのかなぁ、

と気になりますが。

 

母がモラハラを受けはじめたきっかけは結婚

父と母はお見合いでした。

 

当時、母の両親は父が次男という事、

持ち家があるという理由で

結婚を勧めたそうです。

 

母も当時26歳、

今であれば問題ありませんが、

22歳で結婚、退職が

当たり前の時代でしたので、

両親がOKしてくれたこともあり、

結婚したそうです。

 

ですが結婚し、

私が生まれると

態度が変わったと言います。

 

とにかく

母の事を全否定する言葉

日常的に投げかけていました。

 

私も子供ながらに覚えています。

 

ですが、私も弟もおもしろおかしく、

父と一緒になって言っていたと思います。

 

子供って無知なだけに罪作りですよね。

 

母は、弟を出産してから

体調を崩すようになり、

よく寝ていました。

 

これも今思うと、

産後、ゆっくり寝ずに

子育てをしていたから、

骨盤がしっかり締まらず、

体調も崩していたんだと思います。

 

接骨院で骨盤矯正なんて、

昔はありませんでしたから。

 

それに、母は6人兄弟で

両親は高齢で母を生んでいるので、

私を生んだ時には70超え。

 

とても産後の母の面倒など

見れませんでした。

 

色んな不運が母に

重なっていたんだと思います。

 

モラハラを受けていた母の異変

そんな母の異変は私が小学校5年の時。

 

友達と遊んでいる時に

急に私の後を

付いてくるようになりました。

 

私がどこに居るのかが、

急に気になりだしたのです。

 

母は一人で家に居られなくなりました。

 

私の時はまだ大丈夫でしたが、

母親は、

弟が小学校6年の時の修学旅行は休ませ、

中学校の時の修学旅行の際は、

学校とは別でこっそり着いて行っていました。

 

不安なので、もちろん私や父も一緒ですが…。

父は当時、自営業をしていましたので

融通がききました。

 

他にも学校の際は、

当時では出たばかりのポケットベル

 

(昔の数字のみでやりとりする電子機器、

簡易メールみたいな

4649 をヨロシク と読むとか。)

 

を持たされ、

とにかく居場所が分からなくなるのは

やめてほしい。

 

と懇願されていました。

 

小学校の間は素直に聞きますが、

中学校になると、

思春期を迎えた私や弟は

正直戸惑いました。

 

「母はおかしいの?」

 

相変わらず、

父の母への罵倒は変わりませんが、

病院へ連れて行ったりはしてくれました。

 

ですが医者も何が原因かまでは分からず、

「うつ病」と診断され、薬をくれるだけ。

 

原因なんて今でこそ分かりますが、

当時は子どもということもあり、

父の言葉の暴力が原因なんて、

思いませんでした。

 

モラハラを受け続けていた母は仕事をはじめて元気に

 

年頃になった頃、

私は一生、友達と旅行とか行けないのか。

 

など、不安になりました。

 

弟が中学生になった頃に、

母が働きに出ました。

 

そこで母に変化が訪れました。

父に対して強くなったのです。

 

外で働く事で周りに認められ

自信がついたんだと思います。

 

元々頭の回転の速い人なので、

働く事でお金も稼ぎ、

しっかり意見を言うようになりました。

 

時にはマンスリーマンションを借り、

出て行く時もありました。

 

そうなると、

父は勢いがなくなってきました。

 

私が高校生になったあたりから

形勢逆転です。

 

この頃がもっとも母が

イキイキしていたように思います。

 

他にも携帯電話が普及しはじめ、

私や弟が携帯を持つと、

いつでも繋がる、

と分かり安心したみたいで、

社会人になる頃、

私達もようやく

伸び伸びできるようになりました。

 

旅行の際は、

頻繁にメールをしなければなりませんでしたが。

 

社会とつながる、

自信を持つというのは大事なのですね。

 

まとめ

「体は元気でも心も元気じゃないとダメ」

 

母がよく言っていました。

 

結婚し、長女を出産した私に

ストレスが溜まっていないか

すごく心配してくれました。

 

自分みたいに心が病んではいけないと、

思ってくれていたのでしょうね。

 

「自分では気づかない内に心が悲鳴をあげている、

限界が来た時にどうなるのか

分からないのが心の病気、怖い」

 

私は母の事を見てきたので、

自分ではうまくストレスを

発散していると思っています。

 

今はスマホですぐ

旦那の悪口が言えるので

本当に有難いです。

 

私自身、父のような人とは結婚しない、

と決めていたのですが

残念ながら旦那は

典型的な亭主関白で、

時に父と同じような事を言います。

 

 

「おれが稼いできたお金や」

「いやなら出ていけ」

と。

 

私は

「子供の面倒見てあげているんだ!」

「ここは私の家だ!嫌ならあんたが出ていけ」

 

と負けてはいません。

 

ある意味、母の経験が

私を強くしてくれたようにも思います。

 

そんな母の人生ですが、

残された私達が幸せになる事で

母も報われるのかな。

 

と、最近思います。

 

今はモラハラに関して

いろんな相談窓口があります。

 

決して

「自分が悪いから旦那に怒られるんだ」

なんて思わず、

相談窓口を利用して下さい。

 

ママの心が病んだら意味ないですよ!!

 

自殺対策支援センターライフリンク

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