先日、ダンナが知り合いのお葬式に参列しました。
故人はご高齢ではありましたが、かくしゃくとした生粋の武道家で、ご生前お目にかかったときには、うちの娘を抱き上げて相好を崩して「かわいいかわいい」と言ってくださるような、好々爺という言葉がよく似合う方でした。
こんなおじいちゃんが指一本で人を投げ飛ばせるということに驚愕したものです。
ダンナと長男がお葬式に参列したんですが、香典返しと会葬御礼って最近はもうお葬式のときにセットで渡すんですよね。
ワタシの母は早くに亡くなったんですが、そのときにはお葬式のときには参列者に会葬御礼だけお渡しして、後日、香典返しを送る感じだったんですよ。
でも、父のときにはもうその日にお渡しして終了が主流でした。
会葬御礼に清め塩も入ってないし。
今回のお葬式も清め塩はありませんでした。
昔はちっちゃい紙製の袋に「清め塩」ってものが入ってて、お葬式から帰って自宅に入る前に肩にパッパッてかけて清めてから家に入ったものですが、最近はお塩ないんですって。
「清め」ってのがよくわからなかったので、ワタシは清め塩がないことに抵抗がありません。
お清めって言われても、何を清めればいいのかわかんなかったんですね。
母を送ったときは、余計にそう思いました。母の死を清める意味がわからないし、死は穢れと言われてもピンとこなくて。
身内を送るときには、遺族の心境ってどうなんでしょうね。
悲しくもあり、喪失感もあり、後悔もありってところでしょうか。
ワタシの場合は父母共に、年単位での闘病後の死でしたので、ちょっとホッしたところもありました。
「あぁこれで本人が一番楽になったなぁ」という安堵があって。
だからかもしれないんですけど、「清め」って言われても、ぼんやりと違和感があったので、母のときには「穢れとは思わないし、清めなくてもいいや」と思って、塩は振りませんでした。
葬式で塩を振るもふらないも、本人の心持ち次第
うちのお坊さんがおっしゃったんですが、お葬式や法事って基本的に生きている者のためのものなんですって。
死者を通じて縁を結ぶことで、生者がどう生きるかってことが大事。
供養は生者が気の済むようにやっていい。
長らくそういうお説教を受けてきましたので、清めの塩も「別に清めたくないからしない」と思いました。
マナーだと言われればそうかもしれないんですが、どちらでもいいことかと思います。
清めるも清めないも、本人がどうしたいかが大事なことで、やらなかったから悪いなんてことはないです。
ワタシは家族が先に逝くことになれば、きっと清めの塩はしないでしょう。
身内の死はワタシにとって清めるべきものではないからです。
葬式で塩を使うとしたら、身内をなくした悲しみから復帰するためのものなのかも
元々、死を穢れとするのは神道だって知ってました?
ワタシは30歳を過ぎてから知ったんですが、仏教に穢れを払うっていう思想はないんですって。
神道では、死の穢れを払って、死者を神に祀りあげるのが、いわゆる「お葬式」にあたる「祭祀」だそうです。
一方仏教は、お葬式ってあんまり関係ないっていうか、死者のためのお葬式自体しないものだったようです。
お葬式は生者のためのもの。
死者を囲んで、これから生きていく者がどう生きるかを見つめるもの。
完璧に理解してるかっていうと、全然そんなことはないですが、お坊さんのお話やら神主さんのお話やら、お寺のご隠居のお話やらを総合するとそんな感じなんです。
神社とお寺はそこらへんで役割分担ができてるんですね。
死者を神にするのが神道、仏弟子として極楽に送るのが仏教。
だから、神道は祝詞で、仏教は経なんです。
そう考えると、お葬式で清めの塩って違和感があるのも理解できます。
でも、清めの塩で、身内の死の悲しみから立ち直るきっかけを作るっていう意味では、それもありなのかな?
お葬式っていう非日常から、日常に立ち返るためのアイテムとして考えると、清めの塩はなかなか優秀かもしれません。
仏壇へのお供えは、魚の刺身だって良い
塩に限らずですが…お供え物も残された人が判断すればいいと思います。
うちのお坊さんは、「亡くなった方には何もいらないんですよ。残された方がどう生きるかが大事で、供養も残された方がやりたいようにやればいいんですよ」と言ってくださいます。
宗派によっても違うんでしょうが、うちのお坊さんは先代からそうおっしゃいます。
だからうちでは、父が好きだったお刺身を仏壇にあげますし、母が好んでいたサザエのつぼ焼きなんてのもあげます。
生臭物は仏さんにはダメと言われてますけど、絶対父と母は精進料理よりこっちが好きなはず。
どうせなら、故人の好きなモノあげたいです。
まぁ考えてみれば、死者ですからね、現実に食べられるわけではないので、完全にワタシの自己満足です。
でもそれで満足するんだからいいんです。
思えば、母も祖母も仏壇に平気でお刺身あげてましたね。
父が釣ってきた魚をさばいて、2~3切れお皿に入れて、「これ、おじいちゃんにあげといでー」って、幼いころに渡されました。
ワタシは仏壇にお刺身をあげて、鈴を鳴らして「なむなむ…」ってやって、「あげてきたよー」と母や祖母に報告です。
昔からうちでは、あんまり仏教の決まりに重きを置いてなかったんですね。
遺伝?(笑)
そう考えると清めの塩もどっちどもいいものではないでしょうか?
ひとつの小さなけじめとして振るのも、死を穢れとしないと言って振らないのも。
古くからの慣習だから振るのも、なんとなく振らないのも。
死は思ったより身近にあって、わかっているつもりでも突然やってくるものです。
生きていく者たちは、死者に敬意を払い、思い出を大切にし、日々を健やかに生きることが何より大切にすべきことだと思います。