「誇り」って聞きなれませんね。
辞書によると、
[形][文]ほこら・し[シク]得意で自慢したい気持ちである。「―・い顔つき」「選出されたことを―・く思う」[派生]ほこらしげ[形動]ほこらしさ[名]
となっています。
もっと簡単にざっくりと、
「誇りに思う、誇らしい」の意味や使い方、
目上の人に対しての具体例なども紹介していきます!
「自分ってすごい!」と思う部分を指す
まず、自分のことであると考えてみましょう。
誇りに思う、ということは、
『それは立派だと感じて、考えるだけでいい気分に思う』
というような、
自分ってすごい!と思えるもののことを言います。
そういうものって、自慢したくなりますよね。
自分で思う以外でも、
誰かからあなたの良い所や得意なことを褒められたりすると
とっても嬉しいですが、
その気持ちも「誇らしい」ということです。
家族・身内などの場合でも使う
意味はわかったとして、
『誇りに思う』という言葉は、
どんな時に使うのか見ていきましょう。
自分のいる国や、学校、身内などの場合:
例えば…
災害救助の場面で、
自衛隊の人が海外で活躍したとき。
『日本人に生まれたことを誇りに思う』
『彼らを日本人として誇らしく思う』
スポーツでサッカーのワールドカップで
活躍した日本人選手たちを見たとき。
『同じ日本人として誇らしく思う』
出身校の先輩がノーベル賞を取ったとき。
『この学校の生徒として、この学校や先輩を誇らしく思う』
父親や母親、息子・娘が良いこと、すごいことをしたとき、
『私は家族を誇りに思う』
実家が代々伝わるお金持ちだとすると、
『私は家柄の良さを誇りに思っている』
家柄こそが他の誰よりも優れている、
ということが凄いことだと思っています。
よく創作の中で、貴族や王族など、
高貴な生まれの登場人物が言ったりする言葉ですね。笑
ただ、自分の能力以外のことを言うのは、なんとなく違和感がある…
自分が何かしらのかかわりを持っていることがすごいと思って、
「誇らしく思う」などと使うのは日本語として正しいと思います。
ただこれは私の個人的な意見なんですが、
自分の能力でやったものとか、
深く手助けをした人が活躍したことに対して
「誇りに思う」と使うのは良いと思います。
でも、ほんのちょっと共通点があるからといって、
「○○さんは私の誇りだ!」
などと使うのは、ちょっとどうかと思います。
例えば、あまりかかわりのなかった
同じ学校の同級生が、
ものすごい再生数を誇るユーチューバーになったとして、
「その人を誇らしく思いますねー」
なんていうのは、
ちょっとないわ…あんたそんなにその人に関係ないでしょ…
と思うからです。笑
おそらく、そういう風に思う人も多いはずなので、
主に自分のことや、
自分が、成功までの努力を手伝った人を誇りに思う、
と使うのが好ましいなと思います。
日本語としては、ちょっと共通点があって
「なんかこの人、出身地が同じだし、自分のことのように思えて自慢したいな」
などと思った時点で言うことは、
日本語としては間違いないと思うんですけど、
それでも私は、あくまで自分のことを語るほうが好感を持てます。
同じ日本人と言いたい気持ちはわかりますが、
それならば
「並大抵のことではない」
「自分も見習いたい」
といった尊敬の気持ちや、
自分が今後、頑張ろうと考えていることが
わかる言葉を添えるといいと思います。
「誇りに思う」を上司や目上の人に使うのは失礼なのか
上司や目上の人に使う場合って上から目線なんじゃないか、
ちょっと考えてしまいますよね。
基本的には、主語を自分にすればOKです。
シチュエーションや使い方にもよりますので、
例文ごとに考察してみましょう。
「部長のことを誇りに思います」はダメ
これだけだと上から目線のようにも聞こえますよね。
主語を部長ではなく、私にして使えばOKですよ。
「私は、部長の下で働くことができて誇りに思います」
部長を誇りに思いつつ、あくまでその下にいる
自分が思ったことを表現していますので、
部長も良い気分のはずです。
さらに具体的に説明を加えるとナイスかもしれません。
「部長のような
立派な上司の指導を受けることができて、
私は誇りに思います」
とすれば、なお部長の良いと思っていることが言葉にできるので、
相手に好ましくなり、良いと思います。
誇りに思う対象が「部長」ではなく
その下で働く「自分」になるので
上からとは取られません。
「誇りに思う」の同義語やニュアンスの違いは?
「誇りに思う」って素敵な言葉ですが、
なかなか日常会話の中では使わない表現です。
ちょっとキザな感じもあれば、
恥ずかしい、照れくさい感じもしますし、
場合によっては自意識過剰ととられる恐れもあります。
では、「誇りに思う」を他の表現で表すには、
どういった言葉があるのでしょうか。
また、受け取る側のニュアンスの違いなどは
どうなのでしょうか。
1.誇らしく思う
「誇りに思う」とほぼ同じですが、「誇らしい」が形容動詞になった形です。そのせいか「誇りに思う」ほどストレートな感じがなく、嫌味が少ない印象を持つ人が多いのではないでしょうか。あまり自分のことを言う時には使わない表現ですよね。家族や親しい人のことを自慢に思う時に使う場合が多い表現です。
2.自慢に思う
こちらもあまり口語としてこのまま使うことは少ない表現ですよね。謙虚すぎず「自慢」と包み隠さず言っているあたりは個人的には好感が持てますが、そのシチュエーションや言う人にもよりますよね。「自慢です」といっそ断言するか、日常会話の中であれば「自慢かな?」ぐらいの曖昧表現が鼻にかけた感じがなくて好感が得られそうです。
3.胸を張る
誇りや自信を持って、それを外見的にわかりやすく表した表現です。「誇り」だと厳かな雰囲気や名誉といった見えない重圧が感じられますが、「胸を張る」だとピシっと引き締まった印象と同時に、清々しく開放的で先が明るい感じがします。
4.鼻高々
形式ばらない表現で、口語的には一番使いやすいでしょう。肩ひじ張らない気安さやひょうきんさ、愛嬌などが感じ取られて嫌味は少ないと感じる人が多い表現です。他人のことを話す際には嫌味として使われますが、それも本気度の高いものではなく冗談的な意味で使う場合が多いですよね。
5.どや顔になる
近年急激に広まった流行語で、
関西弁で「どうだ(すごいだろ)」
をさす「どや」からきた俗語です。
「どや」と言わんばかりの優越感にひたった、
要は「得意顔」の意味で、関西の芸人さんから全国的に広まった表現。
今では全国共通で使われていますし、
ウェブの辞書にも載っています。
「鼻高々」よりさらに親近感やおもしろ味があって、
的確な表現に感心することさえあります。
個人的には流行語と言わず今後も残り続けて欲しいです。
「誇りに思う」よりは内容が細かく些細なことが多いですね。
「誇りに思う」にも類義語はたくさんありますので、
相手がどう受け取るかのニュアンスも
考えながら使い分けていきたいものです。
まとめ
『誇りに思う』とは、
人より優れていて自慢できることを名誉に感じる、
または誇らしく感じる、
ということ。
使い方は、
『自分の家柄を誇りに思う』とか、
『日本人に生まれたことを誇りに思う』など。
また、自分の家族に対して、
『ここまで育ててくれた母を誇りに思う』などと言う場合もあります。
誇りとは自慢できることであり、優れていること、
そして、誰かに褒められるような偉いことだったんですね。
あなたもぜひ、誰かに誇れるものを見つけ出してみてください。